【10年目の7坪ハウス:プロローグ】10年の間に起こった3大出来事 〜大きく変わった住人の暮らし〜

【10年目の7坪ハウス:プロローグ】10年の間に起こった3大出来事 〜大きく変わった住人の暮らし〜
2021年7月10日

7坪ハウスが建って、今年の夏で10年目を迎える。
その間、住人の暮らしはいろいろと変化したけれど、その都度、新たな環境に合うように、そして何よりも居心地のよい空間になるように、7坪ハウスをアップデートしてきた。
この10年で7坪ハウスはどのように変化してきたのだろうか? プロローグ、本編6回(ショップ編、バックヤード編、1階の廊下&洗面所編、2階のキッチン編、2階のリビング編、3階の居間編)、エピローグの全8本で、10年の軌跡を紹介する。

プロローグでは、住人の暮らしの変化を振り返りたいと思う。都内に家を建てたこと自体、住人の人生最大の出来事だと思っていたが、それに匹敵する出来事が、この間に起きたのである。

会社員生活に終止符。「くらし」と「しごと」がつながった

なんといっても最大の出来事は、家を建ててから2年後、会社員からフリーランスになったことだ。都内に家を建て、多額のローンを抱えていたにもかかわらず、独立の道を選ぶとは正気の沙汰ではない。しかも、独立後の仕事は何ら決まっていない状況だった。

7坪ハウスができた当時、私は会社員だった。豊島区・東長崎という場所を選んだのは、会社に「自転車通勤ができる距離」で土地を探していたからだ。そうして見つけたのが、車2台分しかない、たった10坪の土地だった。

2012年1月に行った地鎮祭。家の大きさに打たれた杭に紐が貼られている。兄曰く「ウチの居間と同じ広さだね」
半地下の基礎が出来上がった。その狭さに愕然とする

狭いとはいえ、東京の大都市の1つである池袋から2つめの駅であり、しかも最寄り駅から徒歩4分の駅近となれば、それなりの価格だ。土地の契約をする直前まで、「本当にこんな高い買い物をしていいのだろうか?」「都内に家を建てるなんて正気の沙汰ではない」など、かなり心は揺れていた。

最終的に背中を押したのは、「これからも会社でがんばろう」と“決意”したことだった。

実は何年も前から「会社を辞めたい、でも辞めたら生活していけない」と、どっちつかずの中途半端な気持ちを抱えたまま、憂鬱な毎日を送っていた。仕事は好きだったはずなのに、人間関係の煩わしさから、いつの間にか仕事への興味も失せ、ただ機械的に仕事をこなすだけの日々。でも毎月入ってくるそれなりに高い安定収入を捨てる勇気はない。就職活動をして別な会社に転職する選択肢も気力もなかった。

答えの出ない状況にいい加減うんざりしていた時、突然湧き上がった「家が欲しい」という思い。それは、どっちつかずの気持ちに決着をつけることにつながった。家を買うなら会社を続ける、会社を辞めるなら家をあきらめる、の二者択一。私は前者を選び「これからも、がんばって働いて家を買おう!」と覚悟を決めた、つもりだった。

■家を建てた理由については、↓こちらにまとめているので、ご覧ください。

ところが、7坪ハウスが建って2年後の2014年、私はフリーランスになってしまった。“決意”は大きいはずだったのに、家づくりを経験したことが、逆に会社を辞めるきっかけになったのだ。

家を建てる過程で知り合った、建築家や不動産会社の担当者、大工さんや塗装屋さん、お店の看板やショップカードを作成してくれたデザイナー……、皆さん、本当に楽しそうに、誇りを持って仕事をしていた。忙しそうだし、大変なことも多いはずなのに、いつも生き生きとしている。

久しぶりにとれた半日休みに「江戸東京たてもの園」に行ってきたとか、毎日通っているコーヒーショップと一緒にイベントをすることになったなど、仕事の話なのかプライベートの話なのか、区別がつかない話題を楽しそうに話してくれる。彼らにとって日々の「くらし」と「しごと」はつながっているのだ。これは仕事だとか、これはプライベートだとか、そんなことは意識すらせずに。

本来、仕事とプラベートを完全に切り離すことなどできない。ましてや編集・ライターという職業は、プライベートタイムにインプットしたことを、仕事でアウトプットしていく、という作業がより必要な仕事だ。

しかし、私はある時期から、会社では一切プライベートの話はしたくない、家には仕事の資料すら持ち込みたくないと、頑なに公私を分けていた。私にも仕事が楽しくて仕方がなかった頃があったはずなのに。。。

もともと好きで始めた仕事だし、仕事は楽しかったはずなのに、人間関係のストレスを仕事自体の問題にすり替え、仕事は辛いもの、仕事に楽しさを求めてはいけないと、いつの間にか仕事を単なる生活の糧と割り切るようになっていた。

しかし、彼らの楽しそうに働く姿を見て、仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切ることでバランスをはかる生き方が息苦しくなってきた。たぶん、プライベートを充実させることではバランスがとれないほど、会社での人間関係のストレスが許容範囲を超えてしまったのだと思う。

そして、思い切って会社を辞めて思ったことは、家を持つことも、会社を辞めることも、大した問題ではなかったということ。

どちらも手に入れた今では、「くらし」と「しごと」がつながっている。いまだに収入は会社員時代の3分の2に下がったままだけど、やりたいこと、やりたくないこと、できること、できないこと、収入、ストレスなどなど、少しずつではあるけれど、よいバランスができあがっていると思う。

超えることなどできない高くそびえたつ壁のように思えた選択が、飛び越えてしまえば、中学生の頃の体育の授業で飛んだハードル程度の高さだったことに気づく。もしかしたらちょっと足がひっかかってしまうかもしれないけど、飛び越えられない高さではない。

ハードルを壁にしていたのは、私自身だ。選択肢を2つだけにしてしまったのもの私自身だ。でも、選択肢はいくらでもあるし、飛び越えられる方法もいくらでもある。それを考えて実行するかどうかは、自分の思い次第なのだ。

今でも、ハードルが壁に見えて、一歩を踏み出すことにためらってしまうことは多々ある。ものの捉え方、考え方を変えることは、簡単なことではない。いくつになっても練習あるのみだ。

メディアの取材とワークショップ・企画展の開催

2つめの出来事は、思いがけずメディアからの取材依頼がたくさん舞い込んできたことだ。

7坪ハウスを設計してくれた建築事務所が注目を集め始めていた時期でもあったが、取材がくるのはせいぜい竣工後1年くらいまでと思っていた。ところが、今でも年に数回、声をかけていただく。ありがたいことだ。

掲載誌を見返すのはなかなか面白い。家の写真を含め、写真を撮る習慣が身につかない私にとって、過去に掲載された記事は写真とともに7坪ハウスの変遷を記録してくれている貴重な資料だ。次回以降の本編6本では、掲載誌を拝借しながら、紹介していく予定だ。

7坪ハウスが掲載誌の表紙を飾ったこともある。取材する側ではなくされる側を経験した貴重な体験だ

記事の内容は、最初は「7坪ハウス(家)」や「Fika(お店)」に関する取材だったが、最近では住人の「暮らし」について聞かれることも多くなった。そういえば、竣工から3年くらい経った頃、我が家の建築家さんに言われたことがある。ちょっと、自信を与えてくれた言葉だった。

「家の取材は、せいぜい1年くらいまで。3年経っても取材がくるということは、しかも女性誌から取材がくるということは、素敵な住まい方をしているからだと思う。来るたびに、よりよくアップデートされている」

過去の記事を読むと、「あの頃はこんなことを考えていたんだ」と、住人のその時々の思いが振り返れるのもなかなか興味深い。
よく質問されたことのひとつに「今後、どんな暮らしをしたいですか。やりたいことや夢はありますか」というものがある。

「7坪ハウスを最大限に活用すること。いずれ、2階までパブリックなスペースにして、ワークショップや展示会を開きたい」

改めて読み返してみると、ゆっくりなペースではあるけれど、少しずつやりたいことを実現できていることに気づく。2階スペースを利用してのワークショップや、お店での企画展を始めたのは2019年のことだ。

■過去のワークショップや企画展の情報は、↓こちらにまとめているので、ご覧ください。

このときも、果たして自分にできるのか、不安のほうが大きかったけど、なんやかんやと形になっている。ご近所のお友達で、ショップ経営や企画展開催の大先輩であるPlanethandさんは、不安ばかり口にする私に「無理じゃないよ。できる、できる。大丈夫」と、いつもぽんと背中を押してくれる。アドバイスと一緒にポジティブな気持ちをくれる人だ。

7坪ハウスを紹介するために作ったこのHPも、「プロにお願いするのはお金がかかるから無理、でも自分で作るのはもっと無理」とあきらめかけていたが、ちょうど自分でサイトを作りブログをはじめた義兄が手伝ってくれたことで、なんとか自分で制作・管理できるようになった。

何でもかんでも一人でやろうと思わず、人に頼ることも大切——。これも7坪ハウスに住み始めてからこの10年の間に学んだことだ。ご協力いただいている皆さんには、本当に感謝しかない。

なかなかやる気が出ずに、何も生産的なことをしていないと自己嫌悪に陥ることはしょっちゅうだけど、こういう記録を見ることで、できていることにもっと目を向けようという気持ちを起こさせてくれる。これも7坪ハウスのおかげだとつくづく思う。

■メディア情報は、↓こちらにまとめているので、ご覧ください。

7坪ハウスに猫がやってきた! 猫との暮らし

3つめの出来事は、猫と暮らしはじめたことだ。

7坪ハウスに猫がやってきたのは、2017年7月中旬。一緒に暮らし始めた理由は、かなりいい加減だった。保護活動をしている方々のブログやユーチューブなどを見ることが増えた今では、「無知ですみませんでした」という思いだ。

私が一緒に暮らすべく思い描いていたのは保護猫で、毛の色(模様)は茶トラや茶白、グレ白の、オス。毛がもふもふしていて、どこもかしこも丸い猫(私の中にあったかわいい猫のイメージ)。

しかし、7坪ハウスにやってきたのは、譲渡会で出会った保護猫ではあるものの、短毛で小さな顔はしゅっとしていて、手足が細くて長い。模様はがちゃがちゃで、尻尾は細くておかしな形をしている、かなり野性味溢れるサビ猫だった。だから当然メスである(染色体の関係でサビ猫のオスは稀)。

思い描いていたのとはまったく違う風貌の猫に、私は「グリース(ぐー)」と名付けた。グリースはスウェーデン語で「ぶた」を意味する言葉だ。カギなうえに、クルンとねじれている尻尾に由来する。

里親になったはいいけれど、当初、私には「親」という自覚がほとんどなく、猫との暮らしに戸惑いを覚えるばかりだった。詳細は、↓こちらで詳しく触れているので省略。

まさか猫と暮らすことになるとは想像もしていなかったし、一緒に暮らし始めたのも不純な動機だったけれど、7坪ハウスを建てていなければ、ぐーとの出会いはなかったと思う。7坪ハウスはいろいろな人との出会いをもたらしてくれたけれど、ぐーとの出会いもまさにその一つであり、格別な出会いだった。

猫と暮らし始めて4年。ぐーのいない生活はすでに想像できない。
7坪ハウスに来てくれてありがとう、病気もせず元気でいてくれてありがとう、冬になると一緒にお布団で寝てくれてありがとう。夏の夜には決まって布団から出ている飼い主の足を噛むくせはやめてほしいけど、これからも変わらず、お互いにマイペースで、仲良く暮らしていきましょう。

こんな感じで、住人の暮らしは大きく変化した。それに呼応するように7坪ハウスも変化を遂げてくれている。実際に手を加えているのは住人ではあるけれど、7坪ハウスには懐の深さがあるといつも感じている。住人の要求に柔軟にこたえてくれる、小さいくせにあなどれない、自慢の家だ。

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次回からは、7坪ハウスの具体的な10年の変化を紹介していきます。第1回は「ショップ編」です。

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